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福井県のなりたち
 7世紀後半から末にかけて、北陸の地は若狭(わかさ)と越(こし、高志とも書く)の2つの国に分かれ、さらに越は越前(こしのみちのくち)、越中(こしのみちのなか)、越後(こしのみちのしり)の3つに分かれていったようです。
飛鳥浄御原令(689年)のもとで国郡(評)制が確立し、越前と若狭の2国になりました。若狭については今とほとんど変わりませんが、越前は現在よりも広く、今の石川県の地域も含んでいました。
奈良時代(718年)には、越前から分立して能登国が置かれ、平安時代(823年)には、さらに加賀国が分立して近世に至っています。
 
▲敦賀市水島
 明治4年の廃藩置県により、福井、大野、小浜など10県が置かれ、その後すぐに福井県(さらに足羽県に改称)と敦賀県の2県に併合されました。
明治6年には足羽県が敦賀県に併合され、越前と若狭がはじめて1つの行政区になりました。しかし、明治9年、敦賀県は2分され、嶺北が石川県に、嶺南が滋賀県にそれぞれ分属されました。
その後、明治14年2月7日、嶺北と嶺南が1つになって福井県が成立し、現在に至っています。
また、県下の市町村数は、明治22年の市政、町村制の施行により1市9町168村に統合され、さらに戦後の町村合併により昭和46年9月に、現在の7市22町6村になりました。